醸造家紹介

アラン・ヴォーティエ氏 Allan Vautier 代表的なワイン『シャトーオーゾンヌChateau Ausone』

サンテミリオンの石灰岩の丘の斜面の有利な場所に位置するこの有名なシャトーは、1990年代半ば以降、アラン・ヴォーティエがたった1人で管理しており、今もオーゾンヌの品質をどんどん向上させている。彼の見事な運営のおかげで、このシャトーは50〜100年も持つような、評価の基準となるようなワインを、常に造り続けている。出来る限りよいワインを造るための費用は惜しまず(例えば収量の低減、完熟したブドウの使用、タンクではなく小樽でのアロマティック発酵など)、その結果、ここの並はずれたテロワールがよりよく表現されたワインができた。それでいて、昔のヴィンテージよりもリッチで、より好奇心を刺激されるようなアロマも持っている。方向性が革新的に変わった事から、オーゾンヌはその魂を失ってしまったという人は多かった。
こうした声は、サンテミリオンの古株たちによる保守的な(従順なオウムのような)意見である。彼らは、このシャトーがかび臭いアロマに特徴づけられた、枯れはてた、果実実の乏しい、中身のないワインをつくっていた半世紀前に、時計を戻したいという人たちである。しかし実際には、アラン・ヴォーティエの肩入れによって、オーゾンヌはついにその神話的な地位にふさわしいワインを生み出すようになったのだ。価格は高いが、生産量が極めて少なく、ボルドーのいわゆる「八大赤ワイン<ラトゥール、ムートン、ラフィット、マルゴー、オーブリオン、ペトリュス、シュヴァル・ブラン、オーゾンヌ>」の中で一番少ないシャトーである。
〜ボルドー第四版より〜

ジャン・リュック・チュヌヴァン氏 Jean Luc Thunevin 代表的なワイン『シャトーヴァランドローChateau Valandraud』

元は銀行員からワインの販売、その後生産を手がけ、いまや世界トップレベルのワイン生産者兼コンサルタントとなった、ジャン・リュック・チュヌヴァン氏。ポムロールの小さな畑から造られる『ル・パン』に魅せられ、彼自身の手で最高のワインを作りたいという、熱き思いが全てのきっかけでした。
ワイン商としての仕事の傍らで少しずつ畑を買い足し、ミュリエル夫人と2人3脚でワインを手掛け始めました。現代の手法を取り入れつつも、手作業にこだわり、手間を惜しまず、自然を最大限に活かしたブドウ栽培とワイン造りを、隣人達は最初一笑に付したといいます。しかし、ワインに対する飽くなき探求と情熱そして決断が、1991年にシャトー・ヴァランドローを生み出しました。サンテミリオン街中の小さな醸造所生まれたこのガレージ・ワインは瞬く間にワイン愛好家の熱狂の的となり、テュヌヴァン氏は銘醸サンテミリオンの生産者のひとりとして確固たる地位を築いたのです。
また、低収穫量によって1粒のぶどうに最大のエキスを与えることで、果実味の凝縮したワインを造りだすの彼の手法は、他のボルドーの生産者に多大な影響を与えました。
テュヌヴァン氏のワインへの情熱は、輝かしい成功を収めた現在も枯れることなく、シャトー・ヴァランドローに加えてセカンドワインであるヴィルジニー・ド・ヴァランドロー、シャトー・ベレール・ウイ、クロ・バドン・テュヌヴァンなど、ヴァランドローのスタッフと共に精力的にワイン造りに取り組む一方で、テュヌヴァン氏に続く若い生産者のコンサルタント、そしてワイン商と多忙な日々を送っています。 元は銀行員からワインの販売、その後生産を手がけ、いまや世界トップレベルのワイン生産者兼コンサルタントとなった、ジャン・リュック・チュヌヴァン氏。ポムロールの小さな畑から造られる『ル・パン』に魅せられ、彼自身の手で最高のワインを作りたいという、熱き思いが全てのきっかけでした。

ミシェル・グラシア氏 Michel Gracia 代表的なワイン『シャトーグラシアChateau Gracia』

<ワイナート誌の記事より抜粋> グラシアは歴史的建造物修復の名高い専門家であり、サンテミリオンの城壁をはじめ、オーゾンヌ、シュヴァル・ブラン、テルトル・ロトブフ、 レオヴィル・ラスカーズ、ラ・モンドット等数多くのシャトーを手掛けてきたミシェル・グラシア。 最高のワインがこの世に生まれ出る様子を否応なく見届けることになった彼は、自分のワインへの創作意欲が湧き起こるのを抑えきれなかった。 ワインづくりは初めての経験だったが、偉大な建築が語りかける小さな声を聞き取って、本来あるべき美へと復元させることができる彼の才能は、 ここでも最大限に生かされた。彼は言う、「何をするべきか、頭だけではなく、おなかで感じるんだ。 たぶん僕は感覚的に感じ取る力があるのだろう。買った畑を手入れしていた時、畑が僕に『ありがとう、これで呼吸ができる』と言ったような 気がしたんだ」。彼は情熱だけではなく、深い思慮があった。成熟度を増すべく、サンテミリオン最高となる樹高190センチに仕立てた。 2haに満たない畑にもかかわらず、収穫には40人、それも善し悪しを見分ける目と細かい作業に優れた建築技術の修復技術者を雇った。 ジャン・リュック・テュヌバンに倣って手で除梗し、さらにそれを篩いにかけて、ブドウの実以外のいかなる不純物の混入をも許さなかった。 そうやって生まれたグラシア。グラシアを真の傑作とするものは、天の声をワインへと反映させる ことができるミシェルの感性であり、美を具現化させようとする真摯な努力であり、その人間行為の結果として立ち現れてくる品性なのである。

デスパーニュ一家 Despagne family 代表的なワイン『シャトー・モンペラChateau Mont Perat』

デスパーニュ一家は2世紀程前、ドルドーニュ近くのナジャン・エ・ポスティアックに位置するシャトー・トゥール・ドゥ・ミランボーに居を構え、以来、200年以上もアントル・ドゥ・メール地方でボルドーのワインに携わり、ガロンヌ河とドルドーニュ河に挟まれる変化に富んだ土地に5ヵ所広がり、その総面積300haにはボルドーの典型的品種(メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、ソーヴィニヨン・ブラン、セミヨン、ミュスカデル)が植えられています。
デスパーニュが造るワインのクオリティの高さには定評があり 、ボルドーの革新的なワイナリーとして目され そのワインの90%は国外に輸出されています。
1970年に一家の当主ジャン・ルイ・デスパーニュ氏(左写真:左端)が転機を迎え、醸造学部を修了した後、かつてない品質向上に力を注ごうと決意し、他の醸造者達とボルドー白ワインの見直しに乗り出しました。
所有する畑は、あのヘンリー王も宿泊したと言われる由緒正しい土地で、南もしくは南西向きの粘土石灰質土壌の4つの丘に 平均樹齢30年のブドウが栽培されています。 天才醸造家ミシェル・ローランを中心に、3人の醸造学者と 1人の農業エンジニアを加えた5人のチームで、ヴィニョーブル・デスパーニュの様々な土壌から最大限の可能性を引き出す取り組みをスタートさせ、我々の今日の目標は同地域の最高級のクリュと競合出来る力を持ったワインを造ること」と、最高のワイン造りを目指し、こうして膨大な努力と熱意が注がれて、1998年に誕生したワインが、CH.モンペラです。
今日ではジャン・ルイ・デスパーニュ氏の子供達であるティボー氏(左上写真:右端)、ガブリエル氏、バザリン女史が会社経営に携わっています。

篠原 麗雄氏 Reo Shinohara 代表的なワイン『クロ・レオClos Leo』

篠原麗雄とワインとの出会いは、なんと3歳でした。台所のワインを飲み、救急車で運ばれたのです。そんな彼に「ブドウが発酵するとワインになる」と教えたのは父でした。その言葉がワインへ興味を抱くきっかけとなったのです。
ワインの魅力を追求したい、と大阪のワイン販売店で働き、ワインの勉強をするために渡仏、「幼い頃にノックアウトされたワインに勝ってやろう!」とワイン造りに専念します。
2000年に渡仏、ボルドー右岸のコート・ド・カスティヨンに畑付きの自宅兼醸造所を購入。2002年、念願のワイン醸造を始めました。ブドウ畑は、ロマネ・コンティの半分の面積、わずか0.83ha。サンテミリオンのすぐ東側にあるのベルヴェーズ地区にあります。
土壌の質も樹齢も充分で、ジャン・リュック・チュヌヴァン氏や「シャトーオーゾンヌ」のアラン・ヴォティエ氏も太鼓判を押した畑です。土壌は石灰粘土質。しなやかで上品、そして高貴なメルローができるのが特徴です。気候は比較的温暖ですが、内陸に位置し、標高も100mと高いために大陸性気候に近く昼夜の気温差があります。
渡仏して2〜3年で、あのヴァランドローやオーゾンヌのオーナーにも一目置かれるワインを完成させ、世界に通用する高品質なワインを造るという夢を実現させたといっても過言ではないと思います。彼は「ワインを造り始めたら、上を目指しているはずが、実は下に下に掘り進んでいました。ワインは本当に奥深い…」と意味深に語ります。現状に満足することなく、「今以上にワイン造りを極めたい!」という彼のワインにこれからも目が離せません。